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戦争を死を賭してでも避けるのが政治家の使命では?

宇佐美 保

 

『戦争』は人殺しです『戦争』を避け、『戦争』を死語化する為に死力を尽くすのが政治家の使命なのに!!!

 

原発事故からの復興に取り組む姿が、「平和を愛する諸国民」に感銘を与え、「われらの安全と生存を保持しようと決意した。」との“憲法の前文に値する私達と、世界から認められる”と思いきや、早速経済最優先とのことで、原発が再稼働されそうです。

 

原発の発電する「電気」自体の従来理論の(殆ど)全て誤解の産物なのです。

「電気の本質」さえも理解できていない状態の「原発理論」で「原発」の絶対的な安全を保証できますか?!

 

私は、今までに新しい電気理論構築を行い、3冊の『コロンブスの電磁気学』を自費出版してきました。

ところが悲しいことに、『コロンブスの電磁気学』は世界に(それどころか日本に)羽ばたけません。

そこで、今回は、より多くの方々に、より容易にご理解して頂けるようにと、4度目の正直(?)として、カラー版『コロンブスの電磁気学』を、この1月中にでも、世の中に発信しようともがいています。

 

そして、ノーベル賞授与式の演説では、マリオ・デル・モナコ先生直伝のオペラ『道化師』のアリア“衣装を付けろ”を歌おうと企んでします。

 

2013年元旦

 

(補足:1

 

先ずは、『週刊金曜日 2012.12.21号』から評論家佐高信氏による記述「遺言としての三人の護憲」を掲載させて頂きます。

 

選挙戦の最終日、私は大阪で、

「石原慎太郎を選ぶのか、城山三郎を選ぶのか」 と声を張り上げた。

「戦争で得たものは憲法だけだ」と強調した城山の遺言を受け継ぐのか、壊憲の暴走老人、石原を支持するのかの選択だと訴えたのである。

 城山とともに私はもう二人の故人の姿を思い浮かべながら、沖縄から東北までを走りまわった。これから、もっと強く思い出すことになるであろう二人は、異色官僚〃と呼ばれた元通産(現経済産業)・省事務次官の佐橋滋と、元日本興業銀行会長の中山素平である。

 城山は佐橋を『官僚たちの夏』(新潮文庫)の主人公のモデルとしており、中山については『運を天に任すなんて』(光文社)という評伝を書いている。

 佐橋も中山も、城山と同じように憲法尊重の立場だが、官界と財界のトップがそれを主張しぬくのは容易なことではなかった。

 しかし、たとえば中山は湾岸戦争の時、「(自衛隊の)派兵はもちろんのこと、派遣も反対です。

憲法改正に至っては論外です。第二次世界大戦であれだけの犠牲を払ったのですから、平和憲法は絶対に厳守すべきだ。そう自らを規定すれば、おのずから日本の役割がはっきりしてくる」と言い切った。

 佐橋に至っては、退官直後に『毎日新問』の懸賞論文に応募して、「平和の戦略 − 実験国家への道」を発表し、こう指摘した。

軍備は経済的にいえば全くの不生産財であり、人問の生活向上になんら益するところがないどころか、大変なマイナスである。日本の経済発展は、軍備に金をさかなかったせいであるといわれ、アメリカの凋落は、軍事費の支出に起因するといわれる。(中略)軍事を国家有事の時、つまり戦争のための保険であるかのような説を唱える者がいるが、とんでもない詭弁である。軍備が戦争を生むことを忘れてはならない。経済が充実してきたから軍備にも力をいれる、アメリカの防衛負担を肩代わりするなどという考えは、軍備についての深刻な反省のない無責任な所説である」

 だから、世界に先駆けて、平和のモデル国家になれという佐橋の主張は、政財界の人問を仰天させた。非武装論に驚いたのはもちろんだが、経済がわかり、産業がわかり、軍需産業の何たるかがわかる佐橋がそれを唱えたことに衝撃を受けたのだった。佐橋によれば「予想以上に強い抵抗」があった。

 軍事評論家などとも何度かやり合ったが、「非武装は危険というけれども、それでは武装をしていれば安全かと反問すると、安全と言う人は誰もいない

 と佐橋は意気軒昂だった。

 実に魅力的なこうした人間たちが護憲の大切さを説いたことを、もっともっとこれから強調していかなければならないのだろう。明らかに改憲ならぬ壊憲勢力が勢いを得たからである。私はそうした波に対抗して、この三人を先頭に固有名詞のついた護憲論を展開しなければ、と思っている。

 

 

(補足:2)次は「石原慎太郎を“操る”ヘリテージ財団の知られざる闇」:(SPA! 2012119()配信を掲げさせて頂きます。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/spa-20121109-327126/1.htm

 

 10月末、突如都知事の職を辞し、国政に打って出ると宣言した石原慎太郎氏。大阪維新の会などと「保守の大同団結」を目指し、意欲的に活動を開始している。尖閣問題や竹島問題など、重要な懸案事項となっている領土問題にも毅然とした態度で中韓に「物申す」と宣言しており、保守層や右派からの期待は大きい。

 

 しかし、そもそも尖閣問題に火をつけたのは石原氏そのものだ。東京都による尖閣諸島買い上げ宣言には不自然な点があると言うのは、 元フォーブスアジア太平洋支局長でノンフィクション作家のベンジャミン・フルフォード氏だ。

 

「今年の4月17日、石原氏が最初に東京都による尖閣買い上げをブチ上げたのは、なぜかアメリカにおいてでした。しかもヘリテージ財団でのシンポジウムです。こうした情報は新聞にも載りましたが、誰もこの点に注目しようとしない。この財団の正体を日本人は知るべきです」

 

 ヘリテージ財団は73年、保守派の情報ブローカーであったエドウィン・フュルナーが保守派仲間のP.ウェイリッチとともに、政策決定に積極的に影響を及ぼすことを目標として設立した。法的には米内国歳入法規定の「慈善等の活動を行う団体」となっているが、実態はネオコン系シンクタンクである

 

……

 

 スポンサーに軍需産業が多く名を連ね、ミサイル配備をはじめとする軍備増強を強硬に主張することからも、別名「ミサイル財団」とも呼ばれている。イラク戦争やAFRICOM(アメリカアフリカ軍)創設にも関与した。アジアで領土問題や歴史問題による緊張状態を煽る政策を推進し、中国や北朝鮮にミサイルを買うよう圧力をかけているのも、同財団であるとフルフォード氏は言う。

 

「ヘリテージ財団は、自民党系タカ派や防衛族の議員とも関係が深い。同財団の講演会では07年、当時の久間章生防衛相が武器輸出3原則の見直しを発言している。今回の石原氏の尖閣に関する発言を契機に、その後、日中が棚上げしていた尖閣問題が再燃し、同時期に北朝鮮のミサイル発射問題も浮上して日本はミサイル防衛関連の新型兵器をアメリカから追加購入することになった。偶然とは思えない流れです

 

 同財団の背後には数々の米軍産複合体がスポンサーについている(相関図参照)

 

※【相関図】⇒http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=327127

 

「ラテン語で『Cui Bono(クイボーノ)』という言葉があります。事件や事故、戦争の裏で『誰が得をしたか』という意味です」

 

 フルフォード氏がこのたび、上梓した『図解 世界を牛耳る巨大企業』(扶桑社刊)では、そんな数々の戦争や事件の背後に蠢いた多国籍企業やシンクタンク、研究所を余すところなく紹介している。

 

「日本がこれから進むべき道を誤らないためにも、ぜひとも本書をと手にとってほしい」 <取材・文/日刊SPA!取材班>

 

(補足:3)死を賭した政治家菅さん

 

 私は、3.11の原発事故の際の菅さんの行動に感謝し、

恩人菅さんに唾する東電メディア官僚そして民間事故調(7
死を賭した菅さんを葬る東電マスコミ』

等を自らのホームページに掲げました。

 

 更には、今回の選挙前の1130日に行われた下記の3人の外国人の鼎談が『週刊金曜日 20121214924号)』に載っていましたので抜粋させて頂きます。

 

ピオ・デミリア氏 イタリア放送『Sky TG24』極東特配員(イタリア)

クリストフ・ナイハード氏 『南ドイツ新聞』記者

ヴィヴェク・ピントク氏 ジャーナリスト(インド)

 

デミリア

…… そして、重要な指摘をもう一点。日本政府と東電の類似点についてです。はっきり言うけど震災当初、日本政府は国民と同じょうに被害者だった。この国は東電に騙されている。僕が菅直人前総理と二〇年以上の友人だからこんなことを言うのではない。彼は悪い方向に連れて行かれた。震災当初、一番受け付けることのできなかった醜態は、日本の主流メディアが総出で菅直人を攻撃したことです。

 

ナイハード 私も同感ですね。

 

デミリア 菅さんはこの国のヒーローだと思う。彼は日本を、そして東京を大損害と打撃から救ったんだ。もし僕が当時の『読売』『朝日』『毎日』などの編集者だったら、この報道について本当に恥入るよ。「311」の犠牲者リストを提出するなら、一番目に津波の犠牲者、次に放射能による過去・現在・未来を含める全被害者。そして、複数の政治家を含め日本政府。枝野幸男さんは当初は誠実だったけど、途中で態度を変えた。枝野さん、細野豪志さんなど何人かの政治家は政治ゲームをやり始めて、菅さんを裏切った。この大災害の最中に政治ゲームをするなんて考えられる?

……

 

 この件に関連しますが、街頭で民主党の末松某氏が「脱原発」を唱えての選挙運動を行っていました。

演説を終えた末松氏に近づき“貴方は「脱原発派」のようですが、格納容器の爆発を阻止する為のベントを要求する為、菅さんが死を賭して、福島第一原発に飛んだ行為が、マスコミ等から集中攻撃され、また、今も攻撃されていますが、菅さんを擁護しましたか!?”と問いただしましたら、“私は、現場にいなかったので、何とも言えませんし、言えませんでした”との情けない返答でした。

 その情けなさの為か彼は(当然?)落選しました。

 

又、先の鼎談の抜粋に戻ります。

(彼らの菅さんへの評価がまっとうである証拠に!)

 

ピントウ 政権を握るためもしくは連合結成のため、それぞれの党がいろんなことを約束するでしょうが、自民党も民主党も「脱原発」を表明している政党も全政党が両面作戦を取るのではないか。彼らの後ろ盾は日本企業。財界は原子力がほしい

経団連が後ろにいる限り、どんな個人や政党が出ようが何も変わらないでしょう。これが政治の現実です

ナイハード 自分に投票する義務がなくて本当によかったと思っています(笑)。悲しい選択になるからです。選挙の結果ですが、現在より日本の政治はさらに麻痺するのではないかと見ています。しかし、多くの原発が再稼働するとは思いません。

多くの国民が原発には反対だからです。日本では「なるようになる」でしょう。誰も責任を取りたがらないので「こうする」とは誰も言わない。

デミリア もし安倍自民党が大勝したら、原発維持への決断は断固としたものになるだろうと思う

 

 

(補足:4

 

 ところが残念ながら、菅さんへの評価は今以て変わりません。

次は『週刊現代2012.12.15号』の“なぜか欧州で人気者になった菅直人の「脱原発運動」”を転載させて頂きます。

 

 民主党に大逆風が吹く中、前総理の菅直人氏の当選も危ぶまれている。選挙区での人気は下降気味だが、実は意外な場所で菅氏の人気が高まっているという。その場所とは、ヨーロッパ。

一体なぜ欧州で菅氏が人気なのか。イギリス在住のジャーナリストが語る。

「原発事故以降『脱原発』を訴える菅さんは、反原発の象徴として欧州で認知度が高まっているのです」

 10月末、菅氏は人知れずイギリスを訪問しているが、これも貧困問題に関する討論会に参加してほしいと、イギサスから招待を受けての訪問だったという。前出のジャーナリストが続ける。

 「菅さんはこのとき、英国内にある原子力廃止措置機関(NDA)などの脱原発に関する施設や機構を視察しましたが、現地イギリスの反原発NGOなどから大いに歓迎されて、上機嫌だったようです」

 また、フランスのサントル地方に本部を置く反原発団体は、反原発集会に参加するときに、菅氏のお面をつけて原発反対を訴えたほどだという。日本での彼に対する評価とは、あまりに温度差があるような……。

「彼の人気上昇のきっかけとなったのは、あるドキュメント番組でした。今年2月に英国の公共放送BBCで、福島原発事故のドキュメントが放送され、その番組内で菅さんのことが『事故が起こっても怯まずに、体を張って国民の命を守った英雄』のように好意的に取り上げられたのです」(同ジャーナリスト)

 実際は過剰に現場に介入し、事故処理を混乱させた菅氏。かつて永田町では「富士山と菅は遠くから見たほうがいい」と椰輸されたが、ヨーロッパかち見れば、彼の姿は頼もしく映る、ということか。

 

 

 今以て、このような記事「実際は過剰に現場に介入し、事故処理を混乱させた菅氏」を書かれている方は、その場に居合わせて自ら確認されて書かれているのでしょうか!?

そうでなかったら、末松某氏のように、沈黙を守るか、直接菅さんに取材すべきです。

 

 

(補足:5) ここで菅さんご自身の著作『東電福島原発事故総理大臣として考えたこと:幻冬舎新書』から抜粋させて頂きます。

(尚、この書籍を、我が家の近くの3軒の本屋さんで見つけ出すことは困難でした、不思議なことです。普通なら、目に付くように平積みで良い筈なのに!)

 

 ……六時一四分に、私は官邸の屋上から自衛隊のヘリ、スーパービューマで出発した。

 ヘリには、原子力安全委員会の班目委員長も同乗したので、さまざまなことを質問した。ノートを持って行きメモしていたのだが、はっきり覚えているのは、「水素爆発の危険はないのか」と訊くと、「水素が格納容器に漏れ出ても、格納容器の中には窒素が充満しており、酸素はないんです。だから、爆発はあり得ません」と委員長が断言したことだ。……

 福島第一原発に着いたのは、七時一二分だった。一時間ほどかかったことになる。

 ヘリはグラウンドのようなところへ降り、私たちは用意されていたバスに乗り込んだ。東電の武藤栄副社長と、政府の現地対策本部長である池田経産副大臣もバスに乗ってきた。池田副大臣は深夜になってようやく現地に到着していた。オフサイトセンターに設けた現地対策本部がうまく機能しないのも、法律の想定外だった。

 武藤副社長が隣に座ったので、なぜベントができないのかと質問すると、口ごもるだけなので、私はつい声を荒らげてしまった。

 この時、苛立っていたのは確かだ。私はこの時点で、この事故は国家存亡の危機になるという認識を抱いていた。その危機を回避できるかどうかはベントにかかっている。こちらはそういう危機感を持ってやって来たのに、責任者であるはずの副社長が煮え切らない返事なのだ

ベントができないのならその理由を説明してくれればいいのだ。だが、何もはっきりと言わないので、声が大きくなってしまった。

 しばらくして、免震重要棟に着いた。免震重要棟は入口が二重構造になっているのだが、最初の扉を入ったところで、いきなり、「早く入れ」と怒鳴られた。

 そこはもう戦場だった。……

 会議室は二階と聞いていたので階段へ向かおうとしたら、いつの間にか、何の行列か分からなかったのだが、その最後尾に並ぶことになってしまった。……

「どうなっているんだ。こんなことをしている暇はないだろう。所長に会いに来たんだ」と私は大声で言い、列から離れて作業員たちを掻き分けるようにして進み、二階への階段を見つけた。

 案内された部屋には大きなモニターとテーブルがあり、そのテーブルには第一原発の地図があった。すぐに吉田所長が入ってきた。

 

 決死隊を作ってやります−吉田所長の決意

 吉田所長は、私がこれまで官邸で接してきた東電の社員とはまったく違うタイプの人間だった。自分の言葉で状況を説明した。

電動でのベントはあと四時間ほどかかる、そこで手動でやるかどうかを一時間後までには決定したい」という説明だった。

 当初の話では、ベントは午前三時のはずだった。その予定時刻からすでに四時間が過ぎている。それをさらに四時間も待てという。そもそも、ベントをしなければならないと言ってきたのも東電のはずだ。

そんなに待てない、早くやってくれないか

 と言うと、吉田所長は「決死隊を作ってやります」と言った。副社長は口ごもるだけではっきりしないが、この所長は違った

 批判されるという政治的リスク、被曝という健康リスクなどもあったが、私がこの時点で視察に踏み切ったことでの最大の収穫は、現場を仕切っている吉田所長がどのような人物なのか見極めることができた点だ。……

 

 菅さんが直接所長に「早くやってくれないか」と依頼しなかったら、吉田所長は「決死隊を作ってやります」との返事は出来なかった筈です。

そして、その後も、命がけで事故処理に当たられたのです。

 

 東電の武藤栄副社長では、「決死隊」が落命した場合の責任は取れなかったでしょう。

菅さんはその責任を負ったのです。

 

 

 更には、菅さんが東電に乗り込んだ際の引用です。

 

 五時半過ぎに内幸町の東電本店に着いた。……私は、勝俣会長、清水社長以下、そこにいた社員を前にこのように述べた。

「今回の事故の重大性は皆さんが一番分かっていると思う。政府と東電がリアルタイムで対策を打つ必要がある。私が本部長、海江田大臣と清水社長が副本部長ということになった。

 これは二号機だけの話ではない。二号機を放棄すれば、一号機、三号機、四号機から六号機、さらには福島第二のサイト、これらはどうなってしまうのか。これらを放棄した場合、何か月か後にはすべての原発、核廃棄物が崩壊して放射能を発することになる。チェルノブイリの二倍から三倍のものが一〇基、二〇基と合わさる。日本の国が成立しなくなる。

 何としても、命懸けで、この状況を抑え込まない限りは、撤退して黙って見過ごすことはできない。そんなことをすれば、外国が『自分たちがやる』と言い出しかねない。

 皆さんは当事者です。命を懸けてください。逃げても逃げ切れない。情報伝達が遅いし、不正確だ。しかも間違っている。皆さん、萎縮しないでくれ。必要な情報を上げてくれ。目の前のこととともに、一〇時間先、一日先、一週間先を読み、行動することが大切だ。

 金がいくらかかっても構わない。東電がやるしかない。日本がつぶれるかもしれない時に、撤退はあり得ない。会長、社長も覚悟を決めてくれ。六〇歳以上が現場へいけばいい自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない。撤退したら、東電は必ずつぶれる。」

……

 

 ここでも、菅さんは東電社員の命の責任を負い、自らの落命の危険も覚悟しています。

 

 

(補足:6

 ところが、東電は、菅さんが東電に乗り込んでいった際の録音(上記の発言等)を未だに公開していません。

なのに、この国のマスコミ人は、このような東電を非難するどころか、今もって『週刊文春 2012.12.27号』(A級戦犯が比例復活の醜態 息子と一緒にスタッフ罵倒の日々)のような記事を書き続けます。

その記事の一部を抜粋させて頂きます。

 

開票開始から七時間半後の十七日午前三時半。ようやく比例で復活当選を果たした菅直人前首相(66)が夫人と共に府中市内の選挙事務所に現れると、支持者らから拍手が沸き起こった。

 だが、菅氏こそ、民主党の歴史的大敗を招いた最大の戦犯ではなかったか?……

……前首相が比例で救われる恥ずかしい事態になった。前出・民主党関係者が呆れる。

「敗軍の将が、死屍累々の中、自分だけ生き残ったと喜んでどうする? 菅氏復活当選は、むしろ民主党の規律と士気に、大きな悪影響を及ぼしかねません

 

 

 なんだか、この日本の国が余りにも情けなく、『コロンブスの電磁気学』の翼に乗って、私自身も世界に羽ばたいて行ってしまいたい思いがしてきます。

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